いつからか、新しい年を迎えるたびに思う。
今年こそ生活をミニマルにして貯金をしよう―
なのに、ちっともできない…。
以前は貯金できる女vsできない女みたいな特集をする雑誌を見かけてはチラっと開いていたのに、最近は素通り…。
これはもう、浪費家だった父親(今は更生した模様)の遺伝で一生治らない!と思っていましたが、私も人の親になりいい加減「今を生きる(貯められない)女」を自負していられなくなったもので。
切実な問題として、育休中は収入が3割以上減、復帰しても時短なら数割減、それでも支出は今までよりも増-さすがにこのままではいかんでしょ…ということで心を入れ替えました。
そうは言っても、貯められない人生もかれこれ20年近く(少なくとも小学生の頃は「貯められる女」側だった)。もちろん今までも断捨離は試みてきたものの、失敗していました。
まず、「シンプル」って良い響きだ…
狭い都心暮らし、忙しい共働き生活、そして収入減(&支出増)の現在、生活はシンプルが良いに決まっている。
著者いわく、自分がどんな生き方をしたいのか、何を大切にしたいのかが明確になっていて、「自分はこれでいい」という基準を見つけた人から家計は整うとのこと。
「必要」と「欲しい」を意識的に使い分け、バランスをとることで、とてもいいモノとお金の関係を保てると…。
こういう話を聞くと思い出すのがTHE理系男子なうちの夫。
彼は以前に「機能的に気に入っていれば毎日同じ服でも良い」と豪語していましたが(世の中のおしゃれな理系男子の皆さん、一緒にするみたいですみません)、自分の中の基準がちゃんとあるんですよね。興味のあること以外にはできるだけ時間を費やしたくない(=服をアレコレ選ぶ時間がもったいない)というのもあると思いますが。
一方の私はというと、、、
同じ服ばかりを着るのはどうにも憚られる。
特に定期的に会う友人の前では毎回違う服を着なければいけない気がする…。という理由で、ネタが尽きそうになるとショップを覗く、の繰り返し。中には気に入って何年も着る服もあれば、数回着て終わりになる服も。
「ファッション命」な人なら、それで良いと思うんですよ。
しかし、スティーブ・ジョブズみたいにいつも同じ格好でも許されるキャラへの憧れをひそかに胸に秘めている(でもそれなりに素敵に見られたい)私、明らかに「ファッション命」ではありません…。
そうか、これが「基準」か…
自分の人生の中で、譲れないモノの基準があやふやだったということです。
言い換えれば、自信のなさの裏返しか。
「必要なもの」だけの暮らしをしようとすると、文化的な生活を諦めないといけない気がしますが(文系女子としてはいただけない)、大事なのは基準を持つことなんだなと。
それを意識し始めてから、物を買うときの心持ちが明らかに変わってきた気がします。
「お金を使わないこと」ではなく、「基準を持つこと」を意識すればストレスも(あまり)ありません。
今年は「貯められない女」から「スタイルのある女」への変身を遂げたいところ。